たたくより、たたえ合おうYo!

副園長だより

今、長野東急百貨店で『ざんねんないきもの辞典inながの』という企画展示が開催されています。「残念な生き物とは、一生懸命なのに、どこか残念な生き物たちのことである。」と告知チラシには書かれていました。
最近、動物達の進化の不思議に注目した『ざんねんないきもの辞典』という出版物がお子さん達の中で人気を博しています。内容を見ると、各動物たちの特徴をおもしろおかしく紹介しています。
しかしそうした中で、私はこの「ざんねんな」という表現に何とも言えないモヤモヤとした感情を覚えます。本書を見ると、各動物の特徴を私たち人間の視点から見て評価されています。そこに悪意がないことはわかるのですが、気がかりなのは、自分たちの価値観から見て特異な特性を、「残念」と表現する感覚を、読者である子ども達に植え付けてしまわないかという点です。その心のはたらきは、まさに差別意識と似てはいないでしょうか。生き物はどの種もみんな一生懸命生きています。それこそ人間以外の生き物たちは、私たち人間をどう見ているのでしょう。自分たちの都合で地球環境を破壊し、搾取し、戦争までおこしてしまう人間。人間こそ、地球上で最も「残念な」生き物かもしれない現実を、他の生き物の特徴を「おもしろがる」影に見失ってはいないでしょうか。自分の物差しだけで残念だと断ずるのは、どこか身勝手で相手を侮蔑しているような気がします。
そしてもう一方で『ざんねんないきもの辞典』を「残念だ」と批判している私自身に寛容さが無いことも事実ですね。
多種多様なものを受け入れる多様性が求められる時代にあって、世代を問わず自分と異なる立場や考え方に対する不寛容な行動が、今、社会的に問題になっています。

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ところでACジャパンのテレビCM「寛容ラップ」が話題になっていることをご存じでしょうか?舞台は、とあるコンビニエンスストアのレジカウンター前。認知症気味のお婆さんが代金を小銭でうまく支払えず、小声で謝りながら懸命にお財布をさぐっています。後ろには会計待ちの行列が。その時、すぐ後ろに並んでいた強面の男性がリズムを刻みながら歌い出します。

(男)「Yo!もしかして焦ってんのかおばーさん 誰も怒ってなんかない アンタのペースでいいんだ 何も気にすんな 自分らしく堂々と生きるんだ」

驚いたお婆さんは、その調子に合わせて歌(ラップ)で返答します。

(おばあさん)「迷惑かけてしまってるなって 焦ったらまさかの優しい発言 アタシも反省 見た目で判断 もう要らないわ色眼鏡なんか」

(男)「みんな違うのあたり前」

(おばあさん)「アタシはアタシで、アナタはアナタ」

(男)「誰もが出来る」

(おばあさん)「みんな持ってる」

(二人)「ひとり一人にリスペクト!」

最後はそれを見ていたレジのお姉さんが、

(お姉さん)「たたくより、たたえ合おう~ それが優しい世界~」

と歌い上げ、店内の全員が賞賛する中でCMは終わります。そして最後には「気づきを、動きへ。」の表示。

海外での戦争や、国内の要人銃撃事件など、私たち一般人には無力さを感じる一大事を前に、途方に暮れることは少なくありません。しかし我が日常の中に少しでも寛容さと優しさを生じさせ、それを広げていくことができたなら。大きな事はできなくとも、日常の小さな平和活動、実践していきたいですね。

副園長 飯島俊哲

(海禅寺新聞 2022年 夏号より転載)