広げよう、私がみている世界

副園長だより

今ほど「分断」と「争い」について考えさせられる日々はないでしょう。ウクライナでの戦禍について報じるニュースは、悲惨さと憤りに溢れています。戦争に至ってしまった事態の発生要因について、調べれば調べるほど、単にロシアのプーチン大統領による単独の暴挙などという単純なことではないようです。この件にまつわる様々な利権構造も見え隠れしています。とにもかくにも、一般の方々が巻き込まれている凄惨な現実が今この瞬間にも繰り広げられています。いたたまれない心持ちの皆さんも多いことでしょう。一刻も早く、争いが終息することを祈るばかりです。

マスコミの報道を見ていると、評論家の中には、隣国の脅威という視点では日本にとってもこれは人ごとではないと指摘される方々もおられます。確かにそういうことも考えておく必要があるかもしれません。しかし私が気になるのは、私たち一人一人の心の中にある「分断」意識についてです。日本在住のロシア人に対する差別がすでに始まっているそうです。日本は島国故に、海外の方達とくらべて「内」と「外」との差別意識が強いと言われています。自分とは違う何かに対する拒否反応は、より強く、そして速く出やすいのでしょう。しかしこれは「人の道」として、正しい反応でしょうか。

私たちの身近では、約3年前から始まった新型コロナウイルス感染症流行を受けて、感染症対策として様々な対策行動や概念が日常化しています。実際に罹患してしまい苦しい思いをされた方、または家族にご高齢であったり基礎疾患のある方がおられる場合は、より徹底した感染予防対策をとられていることでしょう。大事なことです。しかし、悲しいかな、これも見方によってはある種の「分断」行動になっています。人と人との距離をとること。さらにはその間にアクリル板を挟み置くこと。買い物に行けば、ビニールカーテンがあちこちに垂れ下がり、人を介さない無人のレジも増えました。職場や学校でも「黙食」が当たり前になり、そしてマスクの一般化により、表情を介したコミュニケーションができない日々が続いています。体調が悪くなれば「陽性」か「陰性」かを細かに検査され、「濃厚接触者」という言葉とともに人と向き合いじっくり語り合うこと、関わること自体が「悪」であるかのような意識が植え付けられています。感染対策の「正しさ」には、たくさんの考え方、主義主張があり、そうした思いのぶつかり合いは日本のみならず、世界中で発生しています。ワクチンの推進派と反対派、マスクを着用するかしないか。行動や行楽の自粛をしているか、していないか。安心安全に幸せに生活したいという思いは皆共通のはずなのに、あちこちで対立が生じています。市中感染のリスクを下げるという大義の下に、私たちが失ってしまったもの。そしてそれと引き換えに無意識の中に宿っているかもしれない人と人との分断意識の芽。これはある種の差別意識を拡大してしまう危険性を孕んでいるように思います。

芙蓉園でも、友達がきちんと手を洗わないこと、手指消毒をしないこと、マスクをしないことを厳しく叱責する子どもの姿に出会うことがあります。その度に、指摘する際の物の表現の仕方や、マスクの限定的な効果について伝えていますが、コロナ禍を通じて、子ども達の中にも、穏やかでない感情が育ってしまっていることを感じます。

副園長である私の仕事では、オンライン会議や面談が増えました。また巷ではオンライン法事や葬儀が模索され、全国でそうした実施事例が多数報告されるようにもなりました。人と人とが対面することを控える風潮の中で、新しい可能性を開いていくことは大切ですが、一方でこうしたハイテク機器やシステムは、使っていること自体に自己陶酔してしまいがちな点に注意したいものです。身体性を伴わず、相手の息づかいが感じられない画面越しのやりとりは、大事な何かが欠けているという印象が拭えません。

日本文化は自他を一体として捉える結びつきの中で、その豊かさを深めてきたという評価があります。「私」と「あなた」、「人間」と「大自然」。「神」と「仏」も本来一体でした。近代化の過程で、合理的に物事を進めていくため、あらゆることを区分けし、整理し、合理化する中、一見すると非効率な「一体の思想」は邪魔になったのかもしれません。

しかし近代の進歩主義を突き詰めた現代社会は、新出の感染症に翻弄され、新しい戦争まで引き起こし、さらに人の心まで荒廃させてしまっているようにも見えます。このままでよいのでしょうか。

園のグラウンド脇を通りかかったご近所の方が、ふと足を止めて子ども達が楽しそうに遊ぶ姿を眺めていました。何かに信頼しきって、ニコニコ幸せそうに遊ぶ幼児期の子ども達の姿を見るにつけ、私たち大人の窮屈さの根はどこにあるのかと考えます。仏教では、その根は、「自分自身の心の中にあるのだよ」と教えています。

私たち人類は、大地を傷つけ、奪い取り、汚し、焼き尽くし、そして互いに殺し合うばかりの醜い生き物なのでしょうか。

いえ、違うはずです。

副園長 飯島俊哲

(海禅寺新聞 2022年 春号より転載)